誕生
兵庫県小野市出身
自然豊かな地方の町で成長しました。
カエルや魚を捕まえたり、探検ごっこに夢中になる一方、
幼いころから本が大好きでした。
お気に入りの昔話は、本がボロボロになるまで手放さず、
最後には暗記してしまい、周りの大人相手に語って聞かせるほどでした。
幼稚園のとき、
「女の子らしく育て」という母親の期待でヤマ○音楽教室に入れられましたが
ピアノはまったく性に合わなかったです。
一方で、グループレッスンの歌の授業は大好きでした。
当時から、身体を使って何かを表現することが大好きだったんです。
小学校時代は、当時人気があった「ピンクレディー」に心酔し
心の底から、将来は歌手になる!と思っていました。
放課後はよく、教室で仲良しの友だちと二人、声を張り上げて歌っていました。
何時間も飽きもせず・・・。
好きな科目は「国語」。
国語の時間は、だれよりも積極的に発言していました。
また、作文が得意で、コンクールでたびたび入賞していました。
ちなみに、当時の通知表には
「天真爛漫」「明朗活発」と書かれています。
先生には可愛がられました。単純で分かりやすい性格だったので・・・。
成績は、中の中。
国語は得意でしたが、算数は苦手で、二つ年下の優秀な弟に
教えてもらうほどでした(泣)
出来がよく、親戚や隣近所でも「頭が良い」と評判の弟に対し対し、
いまひとつ冴えない自分・・・。
親からも、弟とそれとなく比較されたり、
「勉強しろ」「勉強しろ」と追い立てられましたが、
逆に 勉強する意欲が下がりました。
当時の親に会えたら、子どもやる気を引き出すコーチングを教えてあげたいです。(笑)
転機
こんな私に転機が訪れたのは、中学生時代。
中学の初めって、数学や英語の授業ってとても簡単なレベルからスタートするんですよね。
算数大嫌い、苦手な私にも、スラスラ解けちゃう・・・
で、私、それですっかり「勘違い」しちゃったんですね。
「私、勉強できるかもしれない」って。
でも、こういう根拠のない思いこみって大事だと思います。
分かるのが楽しくて勉強するから、どんどん成績が上がり、
完全にポジティブスパイラル!
頑張れば頑張るほど、結果が出るのが面白かったなあ・・・。
親が私を見る目が変わったのが分かりました。
ちなみに、
結果、学区内の統一試験で、2000人中1位になったこともあります・・。極端です。
成績があがって教師や親から褒められるようになると、私の中で、
「良い評価を得ること」や成績へのこだわりがどんどん大きくなっていきました。
勉強以外にも、絵画や書道などのコンクール、自由課題にも手を抜かず、
「どんなことでも一番になりたい!」と意気込んでいましたね。
傍から見れば、完全な「いい子ちゃん」「優等生」だったと思います。
今ふりかえっても、すさまじいエネルギーだったと思いますし、
あの成功体験が私のセルフイメージを塗り替えたと思います。
勘違いで、「私、勉強ができるかも」って思いこんだことで、
自分の望む結果をどんどん手にいれられたあの体験から、
「思い込みやセルフイメージが人生を作る」ということ、心から信じています!
トラウマ
一方で、中学時代は、大きな痛みを体験した時期でもあります。
私が当時の私は、
読書が好きで、当時から芥川龍之介や有島武郎などを愛読。
周りから見れば、ちょっと変わった女生徒だったと思います。
中学生にしては難しい言葉をよく知っていたことから
同じ物事を見ても、着眼点や発言がちょっと違っていたかもしれません。
それにくわえ、思ったことをすぐ口にする自由奔放な性格が原因で、
仲が良かった友人に反感を持たれ、
中学1年時と3年時に
合計2度もいじめられることになったんです。
子どものいじめとは言っても、やることはかなり陰湿でした。
詳細は割きますが、
根拠のない中傷や無視に傷つき、精神的にボロボロになりました。
幸い、陰で励まし、仲良くしてくれる友達もいたので、
どうにかこうにか
不登校にはならずにすみましたが、このいじめ体験がきっかけで
他者の心の動きをかなり意識するようになりました。
とにかく人に嫌われてはいけない。
自分が周囲にどう思われているか気にするようになり、
自分の判断より、周囲に合わせた言動をすることも・・・。
どこかで「一般受け」することを重視する私になっていき、
子どもの頃持っていた 自由奔放さが影を潜めていきました・・・。
このころ生まれた「心のクセ」が、
その後もプラス、マイナスの両面で影響を与えていると思います。
煩悶
高校は地元ではそこそこ名の知れた進学校でした。
実態は・・・大学予備校でした。
毎日小テストがあり、自宅学習の時間をチェックされ、
「勉強できない人間に価値なし」くらいの雰囲気漂う学校に
心から嫌気を感じました。
勉強以外の価値観を否定され、閉塞感いっぱいの日々。
学ぶ目的が見えなくなると
次第に「自分は何のために生きているのだろう」という疑問で
いっぱいになりました。
周りには
高校生活自体に何の疑問も持っていないかのように
テストの結果に一喜一憂している友人達。
一番辛かったのは、「何のために生きるのか、学ぶのか」
なんぞを真剣に考える友人が、
周りにだれもいなかったこと。
勇気を持って打ち明けても、
「何を真面目なこと言っているの?」という反応がほとんど。
教師や家族に話しても、「学生の本分は勉強」と一刀両断されるので、
「だれもわかってくれない。こんなことで悩む私がおかしいのかも・・」と、
ますます内にこもっていました。
そんなわけで、どんどんモチベーションは下がり
「やれ風邪をひいた。」「体調が悪い」と
言い訳をしては、頻繁に学校を休むようになり、
家に閉じこもって文学全集などを読みふけっていました。
登校時は、友達に話題を合わせ、極力明るくふるまっていましたが、
エネルギーのほとんどを「思索」に費やしたので、
部活動やおしゃれといった高校生らしいことに一切気がまわらなかったです。
女友達からは
「小紫は、素材は悪くないんだから、もっとオシャレしなよ。
努力が足りん!」と何度も注意されていました。
目に見えた行動は何も起こさない高校時代でしたが、
頭の中で、あそこまで物事を真剣に深く考えたのは、あのころがマックスでした。
今思えば、かなり本質的で、まともなことを考えていたと思うのですが、
一人問答は苦しかったなあ・・・。
やはり暗い高校時代でしたね。(笑)
もしも、あのころ、たとえ答を返してくれなくても、
私の本音を打ち明けられ、真摯に耳を傾けてくれてくれる人がいたら、
あれほど追い込まれず、気持ちにも余裕が出て、視野も広がっていたはず!
・・と残念に思います。
ただ、分かち合え、受け止めてくれる相手がいるだけで人は救われますね。
この実感が、コーチングやコンサルといった今の仕事につながっている気がします。
そして、もう一つ、大きな後悔・・・。
せっかくの青春時代、もっと遊んでおけばよかったあああ!(絶叫)
嗚呼、花の大学生
地元の神戸市外国語大学に入学しました。
家に経済的な余裕がなかったので、
お嬢様学校として有名な「神戸女学院大学」や
名門の関西学院大学、関西大学にも合格したのに、
有無を言わさず、「公立にGO!」って感じでした。
でも、結果的には、これが「正解」。
単科大学で、学生数も少なめ。
アットホームで顔の見えるミュ二ティだったからこそ、
自分の存在価値を実感できたり、出会った仲間と親密になれた気がするんです。
暗かった高校時代から、勉強を強制されない環境になり、
自由を手に入れた!と思いました。
徐々に気持ちも開放的になり、やりたいことを模索しはじめます。
大学生になったら、恋なんかもしたいし彼氏もほしい!と、
本や雑誌では耳年増になっていたものの、
実際には、男子と口を聴くのも照れるほどの超奥手。(///∇//)
でも、気の合う友人ができ、次第に学生生活にも慣れると
バイトと学生生活を
うまく回すようになっていきました。
女友達とバックパックをかついで、アジアを歩き回ったのもこのころ・・・。
一番楽しかったのは、バンド活動でした。
私は、あまり楽器には興味なく、担当はボーカルでした。
声を通じて世界観を表現することや別の人物を演じることに惹かれ、
楽しみました。今ではすっかり声量が落ちましたが、
当時は、ジャズやロックや、色んなジャンルに挑戦していました。
年上の素敵な彼もできたし、
バンド活動も、勉強も、恋愛も、それなりに頑張ったし、傍目には
順風満帆に見えたはずのこの時代。
でも・・実は
完全には満たされてないことを自分が一番分かっていました。
心の中では、何をやっても、表面的な気がして・・・。
自分の核となるようなもの、
「これこそ、私だ!」という何かを、常に探していました。
そこそこ「デキのいい」生徒で通り、自分でも「優秀であろう」とする一方、
高校時代は挫折し、冴えなかった自分。
だからこそ、
確固とした『軸』や『自信』が欲しかったのだと思います。
でも、今思えば分かることですが、
やりたいことや「自分らしさ」なんて、そんなに簡単に見つかりっこないんです。
一番の問題は、視野が圧倒的にせまく、世間知らず。
そのうえ、なんといっても、行動量が足りなかったこと。
たった一人で、「私は何に秀でているんだろう?何に夢中になれるんだろう?」
と煩悶したって、何万回つぶやいたって、答えなんて出てくるはずなかったんです。
もっと色んな人に会いに、色んな場所に出かけ、自分の考えを話し、
色んな人の意見をあおげばよかったんですよね。
若いというのは分かってないってこと
と言えるかもしれません。
きっかけ
そんなこんなで、傍目にはごく普通の女子大生だった大学2年のとき、
良く知る先輩が「アナウンサースクール」に通っていると小耳に挟みました。
そのとき、なぜか、ビビッと電流が走った気がしました。
理由は明確でないんですが、
「あ、こういう道があるのか。なんかやってみたい!」って思ったんですね。
「自分にもできそうだ」という、根拠のない自信と
「夢中になれるものが見つかるかも・・・」という期待で、
スクールに通い始めました。
ただ、先輩の通っていた大手マスコミが主宰するスクールでなく、
大阪市内の地味目の学校を選んだところが、いかにも私らしいのですが。
スクールでは、発声、発音などをはじめ、アナウンスの素質を認められることも多く、
モチベーションがグッと上がりました。
最初は、「自分には無理」と思い込んでいた
アナウンサーという仕事を次第に意識しはじめます。
ようやく目標らしい目標が持てたことが、うれしかったのを覚えていますね。
志願の明確な理由は、至ってミーハーで単純。
色んな人に会え、特別な経験ができて、なんだか楽しそう・・というものでした。
その他の企業研究も特にせず、というより、当時は、他の職業にあまり興味を持てず、
テレビ局以外に受けたのは、
某広告代理店とベビー用品の会社のみでした。
結果・・・いち早く内定を出してくれたテレビ新潟に就職することを決めました。
このときの決断が、自分の一生を左右する選択になろうとは!
局アナ時代
憧れだけで飛び込んだアナウンサーの世界。
人生経験が少ないのに、思ったことをすぐに口にする、生意気な性格だった私は、
一部の先輩から「目の仇」にされました。
やる気満々ゆえに、自分の判断で進めようとした仕事が、
先輩方にとって、「ルールを乱した・自分勝手」と映ったようで、
呼び出され、叱責されたことも・・・。
※後年、先輩の一人に、「有望な子が入ってきたから、嫉妬したの。ごめんね」と言われましたが、
「それはないでしょう」と思いました。
その後も一部の先輩からは、たびたび注意を受けましたが、
ただ「恐怖」を感じただけでした。
というのも、
「なぜそれがいけないことか・・・」という理由が伝えられず、
具体的にこうしなさいという指示でなく、抽象的な心構えを説かれたため、
ただでさえ緊張して思考停止状態の私には、何も心に残らなかったんです。
その後も、その先輩には、緊張感を持ち続け、
本音を打ち明けたり、何かを相談したりすることは皆無でした。
仕事はもちろん、何かを発言する際にはいつも
「先輩に睨まれない・怒られない」ように・・と考え、
言いたい事が言えず、のびのびと本領発揮できませんでした。
もちろん、こちらの対応にも問題があったのだと思いますが
普段着のトークがなく、声をかけられるのは、何か注意されるときだけになっていたので、
やっぱり「偏った」コミュニケーションでした。
また、たとえ相手のためを思っての注意でも、
心の交流のない中での叱責は、恐れや反発を招き、
相手の可能性をつぶすことになってしまう可能性があるんですね。
この経験から、その後私は、チームで仕事をする際は
まずは信頼関係を築くことを心がけ、相手がリラックスでき、安心できる環境を作ること、
を非常に重視するようになりました。
さて・・・一部の先輩とはギクシャクしたアナウンサー時代でしたが、
そんな私でも
温かく励まし、叱咤し、応援してくれた仲間や上司がいました。(・∀・)
人として、プロとして成長することができました。
仕事を通じても 本当に鍛えられました!
サッカーのルールを一から覚えることから始め、トークの練習、取材と
必死で取り組んだサッカー実況。
山岳隊の男性たちと一緒に挑戦した冬の雪山登山。
災害時のヘリ中継。
恐る恐るマイクを向けた田中真紀子さんへの代表インタビュー・・・。
「よくやったな。」
「頑張ったよ。」
そう言われるたび、うれしさがこみあげました。
「苦手なのではない。ただ、やったことがないだけだ。」
「才能は動いてみないと分からない。」
今、好んで口にする言葉は、当時の体験が原点です。
リセット
そんなふうに、2年目~4年目にかけて
仕事はまずまず順調で
入社当時からの念願だった「ズームイン!!朝!」のリポーターも
させていただけました。
ただ、いかんせん余裕がなかった・・・。
次々と与えられる仕事をこなすのに必死で
立ち止まって自分を客観的に見つめたり、
何のためにこの仕事をするのか
将来はどうしたいのか
自分は何を目指して走っているのか
こんなことを考えたこと、ほとんどなかったように思います。
また、、褒められるよりは、他のアナウンサーと比較されたり、
注意されたりすることのほうが多い環境の中、
「自分のために仕事を楽しむ」ということよりも、
周囲に良い評価をされることや、認められ、「合格点」を
とることをいつも意識がいくようになっていました。
下には、優秀な後輩がどんどん育ってきており、
ベテランとしての違いを見せていなければ、ここにはいれない・・・と
思い込んでいました。
自分の居場所を確保するため、必死で頑張るので、
それなりに、結果も評価もついてきます。
でも、
上司から
「こむはイイ感じで育ってきているね」
「期待しているよ」
と言われるたびに、安堵感と共に、
「この期待を裏切れない」
「いつも合格点をとらなければいけない」
というプレッシャーと疲労感を覚えました。
当時の私を動かしていたのは
自分がこれをしたい、こうなりたいというビジョンや志でなく
周囲の評価であり、「合格点」をもらうことでした。
人の評価に振りまわされ
自分では自分を認められない・・・
そこには、周囲に認められる安堵感はあっても、
突き抜けるようなやりがいや喜びはありません。
自分の中に価値判断基準=自分軸を持つこと
これがいかに大事か
その頃の私は、まったくそんな視点がなく
「このままじゃいけない」と思いつつも、どうすればいいか分からず
擦り減っていったのでした。
いつしか、
何を目指せばよいのか方向性が見出せなくなった自分。
そして私は一つの結論を出します。
一回、立ち止まろう、リセットしようと。
「お前はこれからなのに、なんでやめるんだ。」
「やめたいって気持ちがわからないよ。何が不満なの?」
上司や友人、家族からは反対されましたが、
私は、たとえ、安定した立場を手放しても、
自分が納得して、自分で作り出していく人生を歩みたいと思ったのでした。
今、このころの自分を振り返って、後悔はありませんが、
「もったいなかったな」と思います。
そんなに自分で自分を追い詰めなくても、
もっとラクなやり方があったのにと。
もっと色んな人に出会いに行って、さんざまな価値観を学べば良かった。
お手本となる人を見つけ、教えを請うこともできたでしょう。
人は、時として、自分のことが見えなくなることがあります。
そんなとき、鏡のように等身大の自分を確認させてくれる場所や相手がいれば、
歪んだ思いこみや恐れ、足かせから解放され、本当に自分らしく、
軽やかに生きることができるんです。
意味のない苦労をしなくても済むのです。
このときの体験は、今の仕事・・
かつての自分のように、
「自分らしい生き方や働き方」で迷っている人の応援につながっています。
挑戦と発見
テレビ局を辞めてからは、10か月近く、何もせずに過ごしました。
それまでの「追いまくられる生活」から急に解放され、
虚脱感を感じました。
その頃、ちょうど結婚することになったので、
実家の兵庫と、旦那のいる新潟を行ったり来たりしつつ、
何も考えなくても、恐ろしいほど早く時間が過ぎていくことに驚きました。
あんなに人生を真面目に考えて会社を辞めたのに、
ヒマになったらなったで、惰性に流されつつある自分・・・。
「このまま素敵な奥さんも良いかも♪」と一瞬考えましたが、
旦那様の帰りを自宅で待っていられる性格ではないと一日で悟りました。
結局は、
「自分が何がしたいのか」に戻っていくんですよね。
考えていても、答えは見つからないことにようやく気付いた私は、
ようやく動き出します。遅っ・・・。
英会話にラジオのパーソナリティ、朗読の公演・・・。
興味や関心あることに手当たり次第に手を出しました。
★ラジオ局パーソナリティ
複数の番組を担当しましたが、一番楽しかったのは、いわゆる「お悩み相談番組」でした。
自分で作った複数のキャラクターを演じつつ、
視聴者の相談にのる、共感し、励ますことが好きでした。
★朗読
地元の役者さんと共催した朗読の公演では
好きな作家である林真理子さんの作品を朗読。
世界観や人物像をイメージし、なりきりながら、曲や衣装を選び、お客様の前で表現。
役者さんやアナウンサ―の方からも好評をいただけ、自信がつきました。
何より、自分のパフォーマンスで、だれかに感動を与えたり、
影響を与えることがうれしかったです。
これらの体験から分かった私の「好きなこと」は・・・
何かを表現すること、相手の内面と共感しあい、
相手のハートに火をつけること
でした。
そして、その頃出会ったのが「コーチング」。
プロのコーチに自分の中のモヤモヤを整理してもらい、
目の前の景色が明るくなった感動が忘れられず、
自分もコーチの資格を取得。
それからは、「もっと知りたい!」「深めたい!」という思いが噴出し、
次々にカウンセリングやEQの資格を取得。
セミナーや勉強会に投じた金額は、ここでは言えません・・・。
(家族が知ったら、卒倒します)
使命
その後も、やりがいは感じつつも、仕事がなかなかとれない時期が続いたり、
自分らしくないビジネスに浮気しそうになって、火傷をしたり・・・と
紆余曲折のオンパレードでしたが、
結果として、
今は、自分の強みや価値観が最高に活かせる仕事ができています。
「セルフプロモーション」という仕事
セルフプロモーションとは
唯一無二の自分の魅力を発掘し、発信し、周囲とつながる自分を作り上げていくこと。
自分の中にあるダイヤモンドの原石に気づかず、
他人と自分を比較しては落ち込んだり、自分探しの「答」を見つけるため
セミナーや勉強に明けくれたりしている人
また、実力も志も申し分ないのに、それを上手く表現できないため
世の中に知られていない人・・
そんな方がたくさんいます。
そして、それはかつての私自身です。
私は、あなたの歴史から、
あなたの価値観、強み、ウリを引き出します。
そして、あなたの使命や志を、他者に響く言葉に「言語化」し、
唯一無二の存在としてのあなたやあなたの仕事をプロデュースします。
1人でも多くの方に
自分の使命を自覚し、誇りを持ったプロとして生きていただきたい。
そして
自分と周囲を幸せにしていただきたいというのが
私の思いです。
弱みこそ強みであり、唯一無二の自分らしさとなる。
自分では弱みやコンプレックス、挫折だと思っていることこそが
実は自分の役割につながっていることが多いのです。
優柔不断で恥と後悔の多い私の人生。
でも、過去の経験のすべてが、私の「役割」や「強み」に
つながり、今の天職にめぐりあえたと思います。
ただ、自分らしくあることが最強のセルフプロモーション
思いこみやとらわれから自由になり、あなたも私も、
自分をもっと極めましょう!