おはようございます。
売れる伝え方&セルフプロモーションの専門家
小紫(こむらさき)真由美です。
今回と次回は、「売れる伝え方」を少し離れて、
「今だから書きたい!」と思ったことを書きます。
最初は自分のために書いていたのですが、途中から
「これは、ブログをお読みいただいている方と
分かち合いたい」と思い、公開することにしました。
私が大好きだった祖父の話です。
私の自慢であり、素敵な人でした。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
◆おじいちゃんが残してくれたもの
母方の祖父は私を、とても可愛がってくれた。
祖父は私の母を溺愛していたから、その娘である私のことも
可愛くてたまらなかったのかもしれない。
祖父は、その父親が開いた製麺所を子どものころから手伝い、
戦後は後を継いで商売を大きくした。
小さい頃、祖父の家によく遊びに行った。
「真由美、よう来たなあ。」
どんなに忙しくても笑顔で迎えてくれ、
働く手をとめては、私の相手をしてくれたものだ。
敷地内の製麺工場にも連れて行ってくれた。
茹でたてのうどんに、生卵と生醤油をかけたのを食べさせてくれた。
シンプルな味だったけど、あれ以上に美味しいうどんを食べたことはない。
私は小さい頃から、とても小柄だった。
家族や周りには、「体型がおじいちゃん、そっくり」と言われた。
見るとなるほど、祖父も155センチもないと思われるほど小柄だ・・・。
「もう!おじいちゃんのせいで、私まで小さいやん!」と
訳のわからぬ悪態をついても、祖父は怒らずに、ニコニコしていた。
私の「祖父ゆずり」は、身長だけではない。
楽しいことが大好きで明るい性格。
人懐っこく、おしゃべりなところもそっくりだ。
自分に似ている私がお気に入りだったのか、
祖父は、「真由美はほんまに可愛い奴や。」と
周り中に言っていた。
中学に入ると、私はにわかに、ガリ勉となり、
成績が急上昇した。
作文や絵画でも何度か表彰された。
祖父は、自分のことのように喜び、ほめてくれた。
思春期を迎え、私は父親との中がギクシャクする日々が続いた。
ある日、父に手を上げられて、家を飛び出した私は、
近くの親戚の家に駆け込んだ。
そこに、たまたま、祖父が用事で訪れた。
私は、一方的に父親が悪いかのように話すと、
祖父は大変憤って、「俺が話をつけてやる!」と息巻いた。
(実際は、そこまでできない祖父だったが・・・。)
本当は、私にも父に叱られる原因があったのだが、
私の言い分を一方的に信じ、肩を持つ祖父のことが、
少々可笑しくもあり、とてもうれしかった。
まもなく、反抗期に突入した私は、
大好きな祖父にさえ、時に生意気な態度をとった。
あるときは、
祖父が家に遊びに来ても、挨拶もせず、一瞥しただけで
そのまま、自分の部屋に入ってしまったこともあった。
「あんた、おじいちゃんに挨拶ぐらいしなさいな!」
母が怒ると、祖父は、
「まあ、ええがな。」と言いつつ、
寂しそうだった。
「真由美は最近変わったのう。」
そう言われた時は、さすがに「まずい」と思い、反省した
「おじいちゃんにだけは優しくしよう。」と思った。
地元の大学に合格した時。
アナウンサーになることが決まった時。
いつも真っ先にお祝いにかけつけてくれたのは祖父だった。
ちなみに祖父の口癖は
「まあ、ええがな。ええがな。」と
「最高や」
だった。それはそのまま、彼の生き方だった。
退職後、兵庫に戻らず、そのまま新潟の人と結婚することが
決まった時は、とても寂しそうだった。
「近くにおったら、いつでも助けてやるのに、
そんな遠くに行ってしもたら、お前が損するぞ。」と言った。
祖父は、ずっと私を守ろうとしてくれていたのだ。
とはいえ、結納の時は、やはり一番最初にかけつけて、
その場を仕切っていた。
結納の朝、祖父と
どこで購入したのか、
スーツを着て現れ、私の父以上に張り切り、おしゃべりが止まらない。
婚約者の前で、それが恥ずかしかった私が、
「おじいちゃん、ちょっと静かにして」と言うと、
ションボリしてしまった。
なんであんなこと言ったんだろう。
結婚後、新しい仕事を始めたこともあり、
私はめったに実家に戻れなくなった。
祖父は私に会いに、祖母や両親とともに、何度か新潟に来た。
私の主人にも気を遣いまくり、本当にうれしそうだった。
でも、高齢になった祖父は、少しずつ、弱っていった。
足元もおぼつかなくなり、
記憶もどんどん曖昧になっていった。
トイレを使うときも、ときどき失敗するようになった。
それは、祖父が最後に新潟に来た時のことだ。
毎度のように県内の観光地を回ったり、食事を食べに行ったり
楽しく過ごしたあと、家路につく皆を送って外に出た。
祖父は年齢のせいで、とてもトイレが近くなっていた。
長時間のドライブを前に、
私はいつものように、祖父をトイレに連れて行ってから、
外に一緒に出た。
マンションのエレベーターを降りて、駐車場に来て
これでさよなら・・・と言うとき、
母が何気なくきいた。
「おじいちゃん、トイレ大丈夫?」
私が、「今、済ませてきたよ。」という前に、
祖父が答えた。
「もう一回行ってこようかのう。」
祖父にしてみれば、車の中でもしも粗相があっては迷惑をかける・・・
という思いだったのだろう。
今ならそう思う。
でも、その時は分からなかった。
「なんで?おじいちゃん、今私と行ったばっかりやん。」
「すまんのう。」
「・・・別にいいけど。行きたいんなら、行こうよ。」
そう行って、また私は祖父と引き返した。
祖父は「すまんのう」ともう一度繰り返した。
「別に遠慮せんでいいから。気にせんとき。」
そう言いながらも、内心、ちょっぴり
「世話がやけるなあ。」と思っていた。
そして、きっと、それはちょっぴり、表情にも出ていた気がする。
いや、きっと、出ていただろう。
なんで、あのとき、ニコッと笑って
「おじいちゃん、何度でも行っていいよ。」って言えなかったのだろう。
何度思いだしてもこのときの自分の冷たさがが腹立たしい。
その後も、私は相変わらず、仕事や生活に追われ、
気持ちに余裕のない日々が続き、
なかなか帰省もできずにいた。
そんなとき、母からの電話があった。
私は声を上げて泣いた。
(次回に続く)
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