伝わる話し方の専門家 小紫真由美です。
お出かけ前に、一生懸命、車の雪を払ってくれる息子。
大人は「面倒」と思う除雪が、息子にとっては面白い「遊び」なんですよね。
そう、同じ「雪をどかす」という行為でも、
それをどう捉えるかは、人それぞれ。
そして、「どう捉えたか」が、「どんな気持ちになるか」という結果を作ります。
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学生時代。
友人と電車の中で交わした会話を思い出します。
友人は、当時、とても素敵な男子から告白され、
おつきあいを始めたばかりでした。
ですが、彼女はとても不安そうな表情で私に言うのです。
友人:「このまま◯◯君と付き合っていいのかなあ。」
私:「え?なんで?◯◯君の事、好きなんやろ?」
友人:「それはそうなんやけど、なんかなあ・・・。こんな私なんかのこと、好きっていうぐらいやから、大したことない人かもしらんって思いはじめて・・・。」
私:「えーーー。逆やろ?◯◯君みたいなカッコいい男の子に好かれるってことは、
それだけ△△ちゃん(友人)が魅力的ってことやんか!」
友人:「えーーー?そうかなあ・・・。」
その後も同じようなやりとりが続きましたが、最後まで意見は
噛み合ないままでした。
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同じようなやりとり、経験された方もいらっしゃるかもしれません。
なぜ、友人と私の話が噛み合なかったのでしょう。
それは、
「自分という人間をどう見ているか、どう捉えているか」の違いにありました。
そもそも、「自分=たいしたことがない」と思っている彼女と
そのように思っていなかった私。
前提が違うので、見える物が違うのは当然なのです。見えるものが違えば、当然、味わう感情も違います。
でも、捉え方って、ぶっちゃけて言えば「根拠がない思い込み」ですよね。
彼女は「こんな私なんか」というように自分を卑下しましたが、
私は彼女を「素敵な女の子であり、◯◯君とお似合い」と思っていました。
なんだか、今思い出しても、彼女の考え方って「もったいないなあ」と思うんです。
人はだれでも、
多かれ少なかれ、
「◯◯はこんなものである。」「◯◯は、こうに違いない」という思い込みを持っています。
それは仕方ないとして、
どうせ思い込むなら、
自分を幸せにする思い込みを持ちたい!と思うのです。
そのほうがトクですし、幸せだと思いませんか?
あなたの思い込みは、「本当に正しいですか?」あなたを幸せにしていない思い込みは手放しましょうね。