伝わる話し方の専門家、フリーアナウンサーの小紫真由美です。
熊本を中心とする地震で被災され、今なお、不安な思いやご苦労されている皆様に
心からお見舞い申し上げます。
大切な方を亡くした方、ご自身が負傷された方の心の傷が癒え、どうか一日も早く、
生活が立て直せますように。
新潟も9年前、中越沖地震を経験しています。
決して他人事に思えません。
テレビやSNSを見ていると、いてもたってもいられない気持ちになりますが、
こんなときだからこそ、落ち着いて、
私は自分が今出来る、最前のことを実行させていただきます。
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先日来日し、話題を呼んだウルグアイの前の大統領、ホセ・ムヒカさん。
大統領の報酬
約115万円(一ヶ月)の9割近くを社会福祉基金に寄付し、
自身は10万円で生活するなど、
その質素な生き方が注目され、「世界一貧しい大統領」とも呼ばれています。
さて、ムヒカさんといえば、あまりにも有名になったのが、この言葉。
貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ
「言行一致」を生き方で見せてきたムヒカさんの言葉だからこそ、
そして、経済大国日本に生きる私たちだからこそ、
なおさら沁みるものがあります。
話は変わりますが、
先日、あるテレビ番組で「人工知能で便利になる未来の生活」を特集していました。
水道の蛇口の前で「120CC」と声を出せば、きっちりその分量だけ水が出たり
(これはすでに実用化されていますね)
冷蔵庫の中にある素材を把握し、それらを組み合わせたメニューを提案してくれたり
テーブルに何かを置けば、その部分だけに照明が当たったり・・・
人工知能のすごさを思い知りました。
これが、数年内には実現するというのですから、
私たちは、近い将来、それはそれは「便利」な暮らしを
手に入れる事ができるようです。
・・・でも。
技術に感心する一方で、私、「これでいいのかなあ」って思っちゃったんですよね。
人工知能がそこまでやってくれるのなら、
私たち人間は、ますます頭を使わなくなりますよね。
たとえば、日々の献立メニュー。
人工知能が提案してくれるのは確かに便利ですが、
それは、
自分で冷蔵庫の残り物を見て、あれこれ想像しながら
「これとこれを合わせたら、美味しいかも!」と工夫する機会がなくなることでもあります。
知恵や工夫をこらすことって、とてもクリエイティブだし、楽しいことなのに
それを人工知能に奪われるなんて、なんだかいやだなあ・・・。
あくまで個人的な意見ですが、そう思いました。
便利なことは良い事だとは思うけれど、
少なくとも、今の私は十分 便利な暮らしをしているし、これ以上、便利にならなくていいなあ。(問題発言?)
便利を追い求めながら、
使わない頭や身体はどんどん退化していかないかしら?
「もっと、便利に!」もいいですが、「足るを知る」ことも大事に思えてなりません。
ちょうどそう思っているときに、ムヒカさんの言葉を思い出したわけなんです。
とはいえ、
私は、人工知能や技術が不要と言っているわけではありません。
技術は使い方が大事だと思うのです。
最先端の技術は、必要な場所に活かされてこそ、素晴らしい技術になります。
たとえば
恵まれない地域での暮らしを便利にしたり、お年寄りや身体に障害を持つ方達の暮らしを助けたりすることに使われたなら・・・想像すると嬉しくなります。
便利とは、「人間らしく生きる事を助けてくれるもの」ではないでしょうか。
「もっと欲しい」にはキリがありません。
無限ループで追い求め続けて、人はホントに幸せになれるかな・・・。